聖徳太子ゆかりの地
2018年3月14日
日本の歴史上最も有名な偉人の一人、聖徳太子。現在橘寺がある場所で生まれたので明日香村にはいろいろと縁の地がある。しかしそれらが全ていい状態で残っているとは限らない。
聖徳太子の妃、膳夫姫が建立した膳夫寺の後身とされる保寿院。本堂と鐘楼が残る。
明日香村の興福寺は、585年に物部守屋が橘寺に放火した時、金堂に安置してあった地蔵菩薩が、火から香具山の頂上に逃れて行き、それを知った聖徳太子が香具山の山麓に寺を建立して地蔵を祀ったと伝わる。
聖徳太子が建立した葛木寺の跡と言われている和田廃寺はこんもりとした土塁が残るのみ。お寺の跡を示すものは見るかぎり確認できない。
一万円札や五千円札に使われていた聖徳太子の肖像は、最近では聖徳太子と違うとの説が有力で、歴史の教科書にも載っていないとのこと。そして聖徳太子は実在の人物ではなかったとの説も浮上してきている。
さて、真相はいかに。