太子道
2018年3月15日
7世紀中頃に、都であった奈良盆地は東西・南北にまっすぐ通る大道が整備されたが例外的に法隆寺と飛鳥宮を真っ直ぐに結ぶ道(北北西から南南東方向)が造られた。当時、聖徳太子が行き来したとされており、太子道と呼ばれるようになった。
現在でもその名残はいろいろと見ることができる。
屏風杵築神社境内にある屏風の清水は聖徳太子がここで休憩した時に、弓で地面を掘ったら湧き水が出てきた。それから聖徳太子はここを通る度にその水を飲んでいたと伝わる。
聖徳太子が可愛がっていた鷹を埋葬した場所と伝わる高塚。大きなせんだんの木は昭和28年に台風で倒れ、切り株が残る。
聖徳太子が牛頭天王を祀る祠を建てたのが創建と伝えられる飽波神社。
飽波神社境内には聖徳太子が腰掛けたと伝わる太子腰掛石がある。聖徳太子と従者の人形はいらんやろうと思うけど、神社のある安堵町ではかかしアートで町おこしを推進中でその一環だろうか。